本年度の研究では、まず中小家内工業の労働の在り方を、大阪府南部(和泉地方)と、埼玉県西南部(入間地方)の織物生産を対象に、二地域各二時点の、計四つの事例から考察した。この四事例において、いずれも農業との関わりが見出せる。村内の全戸調査史料からは、宇多大津村(幕末・和泉)、北野村(明治初年・入間)、および東金子村(大正期・入間)の三例共に、直接生産者の中心は、農業を営む世帯に属していることが判明し、農家経済調査(明治中期・和泉)の分析からは、そのような労働の農家世帯内での位置付けが、具体的に明らかとなった。このような「余業」「副業」労働の特質は、パート・タイムでの就業にあり、それは、世帯内の労働需要に応じてのフレキシブルな対応が可能な就業形態であったと考えられる。すなわち、家内工業は農家世帯内の労働力配分の「戦略」のなかに位置付けられていることが想定されるのである。このような就業機会の存在が、農家世帯からのフルタイムでの離脱を要求する就業機会-典型的には都市の工場労働-への、農村労働力側からの反応の在り方に、固有の特質を賦与していたであろう事が推測される。では、近代日本の農村から都市への労働移動はどのような特色を有していたのであろうか。この点の実証的な解明を目指して、現在、役場史料(喜多方市)に含まれる労働移動統計(=寄留薄)の収集、整理が鋭意進行中である。膨大な史料群ゆえ、未だ本格的分析の準備段階にあるが、本年度の研究で明らかとなった、農村家内工業にみられる就業行動の特質を踏まえ、次年度以降、農工間労働移動の論理の解明を進めていく予定である。
|