研究概要 |
北大東島で掘られたボーリングコアに認められる炭酸塩岩を4つの層位学的単位(Unit 1,鮮新世;Unit 2,中新世後期;Unit 2,中期中新世(約15-16Ma);Unit 4,後期漸新世から前期中新世(19-25Ma))に,地表に露出した炭酸塩岩を3つの単位(下位よりS1,S2,S3)に区分し,以下のような地史を考察した. 北大東島はフィリピン海プレート上の島であり,島を構成するサンゴ礁の堆積史は,プレートの水平方向への移動とそれにともなう上下方向の変動によって決定されてきた.漸新世から現在まで,プレートが北北東に5.4cm/年の速さで移動したと仮定すると,漸新世後期(25Ma)には北大東島は北緯17°付近に位置していたと推定される.また,島は25Maからおよそ2Maまで400m以上沈降し続けたが,それ以降はlithospheric bulgeに到達したことにより隆起に転じた.その後,0.03-0.05m/kaの速度で隆起し,現在までに約100mほど上昇したと考えられている. サンゴ礁の形態は,漸新世後期(25Ma)から中新世後期(5.3Ma)にかけての時期には,礁湖の堆積物が島の中心部で見い出されていることから,環礁であったと考えられる.一方,Unit 1を作った礁は,同じ場所から礁斜面の堆積物が得られているため,卓礁あるいは小規模な礁の集合体とであったと推定される.サンゴ礁の形態のこのような変化は,礁の北上にともなって海水温が低下し,礁の生産量が徐々に減少して,礁の規模が小さくなっていく過程を見ている可能性がある.S1が堆積した時期には,逆に,礁の形態は卓礁から環礁へと変化した.これは,礁の沈降速度が緩やかになったとき,あるいは,上昇に転じたときに,礁が側方にも成長して,再び環礁を形成したことを示唆している可能性がある.最後に,島が海面上に露出し,それ以降は小規模な裾礁が高海水準時に形成されるのみとなった.以上のように,北大東島を造るサンゴ礁は,島の沈降と隆起の歴史を反映して,さまざまな形態のものが生成・消滅を繰り返してきたと考えられる.
|