北海道近代住宅を対象とした、住様式に見る「洋風化」の導入過程に関する研究は、開拓使より後、昭和戦前期までの総合的な考察は全く行なわれていなかった。本研究では、この期間の北海道大学官舎を対象に、北海道近代住宅の一事例としての官舎建築にみられる洋風化の導入とその過程について考察を加えた。 北海道大学経理部管財課所蔵の『北海道大学所属国有財産沿革』を基本史料として創建および沿革について検討し、同施設部保管の設計図面、同北方資料室所蔵の札幌農学校簿書などにより補完した。以上より、札幌農学校創立間もない明治18年以前に14棟、大正14年から昭和2年の間に傭外国人教師官舎が6棟、それ以降に3棟の官舎の建築が明らかになった。 北海道の官舎の嚆矢である開拓使官舎は「和風官舎」、「前期洋風官舎」、「後期洋風官舎」に大別される。「前期洋風官舎」は和風色の全くない純洋式住宅で、「後期洋風官舎」は資料に乏しく詳細は不明だが、和式の間取りに洋風の外観という和洋折衷の官舎であったという。札幌農学校時代の官舎は平家建が5棟、長屋建が9棟である。前者のうち3棟は傭外国人教師用の官舎で純洋式住宅であり、他の2棟も洋風色が濃い。後者は開拓使「和風官舎」と類似した平面であるが、外観に上下窓を用いており、開拓使「後期洋風住宅」を継承したものと言える。また、これらは改築が多く、明治から大正期への住様式の変遷を伺い知れる。中廊下式への改造、上下窓から引違窓への変更などが見られた。 大正末〜昭和初期の傭外国人教師官舎では、寒地住宅の模索が見てとれた。ペチカという暖房装置の採用、上下窓の排除と引違いの二重窓の採用である。また、当時の住宅思想を反映した間取りの改良も見られる。 北海道住宅の変遷は官舎を例に見ると、単純な「洋風化」というより、防寒性能の追及による「和風」と「洋風」の長所の融合ということができよう。
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