研究課題/領域番号 |
07780066
|
研究種目 |
奨励研究(A)
|
配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
体育学
|
研究機関 | 岡山大学 |
研究代表者 |
鈴木 明哲 岡山大学, 教育学部, 助手 (70252947)
|
研究期間 (年度) |
1995
|
研究課題ステータス |
完了 (1995年度)
|
配分額 *注記 |
1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
1995年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
|
キーワード | 大正自由教育 / 体育 / 奈良女子校等師範学校附属小学校 / 北井柳太郎 / 群馬県 |
研究概要 |
大正自由教育における体育の終息過程を研究するため、奈良女子高等師範学校附属小学校(以下「奈良」と略す)の体操科訓導北井柳太郎に関する調査、考察をおこなった。 北井に関する史料は群馬県高崎市において履歴書を、「奈良」において指導案、職員会記録などを、そして筑波大学中央図書館及び国立国会図書館では著書、雑誌記事などを収集することができた。 当初の研究目的では、北井が文部省の後押しで昭和9年に「奈良」に赴任し、大正自由教育における体育を終息させたことを仮説として提示したが、今回の調査、考察では文部省との経緯を含めた「奈良」赴任の本質的理由は、見出すことができなかった。しかしながら北井は「奈良」赴任以前は、群馬県の小学校訓導であり、この時代に培った体操教材中心の理論と実践を「奈良」にもち込み、大正期は遊戯教材中心であった同校の体育を体操教材を中心に変容していった。つまり大正期から画一的、形式的な体操教材中心の実践を全県的に展開していた群馬の出身者であったことが「奈良」の体育を大きく変容させた要因となっていたのである。また彼は当時日本でも有数の器械体操の選手であり、オリンピック選手並の実力を誇っていた。このことが類い希な実技力、示範力の大きな基盤となっており、「奈良」でも多くの体操教材を自ら実演していた。 以上のように北井は「奈良」の体育を教材面から変容させていた人物であり、その背景には大正期の群馬県体育の形態や、また彼独自の実技力などがあった。今後は昭和20年の終戦前後における「奈良」の体育の動向を探り、軍国体育の崩壊期に大正自由教育における体育が復活を遂げ、終戦後の体育再建にどのような役割を果たしていたのかについて検討する方針である。
|