研究概要 |
わが国近代期の都市計画関係法令およびその実施状況について資料収集,統計資料の分析を行った。 1919年の都市計画法の条文および区画整理・耕地整理の規程に関する資料を収集し,都市地域の土地利用変化,建造環境の形成に関連する当時の法体系とその変化を整理した。その結果,これらは相互の関連性を欠くこと,都市的土地利用と農村的土地利用の競合に関して明確な調整の規程がないことなどが明らかとなった。 また,都市年鑑などの諸統計や文献資料を収集し,1919年法による都市計画区域および用途地域,また区画整理事業が全国的にどのように実施・展開されていったのかを明らかにした。その結果,都市計画区域の指定は都市規模順位にほぼ対応して行われていったが,軍事都市など当時の社会的背景による都市機能が優越する場合があった。 事例都市として取り上げた大分県別府市では,明治42(1909)年から街区改正事業が,また大正1(1912)年からは耕地整理が行われ,温泉観光地としての発達の基礎として,当時の都市計画諸制度が行政機関によって巧みに利用されてきたことが明らかになった。 以上のことを通じて,近代期を通じてわが国の都市がどのような法的な制約条件のもとで発展し,諸制度がどのような意味を持っていたのか,また社会経済的条件の変化によって1968年の都市計画法改正に至った必然性が確認された。
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