研究課題/領域番号 |
07801004
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
哲学
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研究機関 | 立教大学 |
研究代表者 |
佐々木 一也 立教大学, 文学部, 教授 (70215713)
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研究期間 (年度) |
1995 – 1997
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研究課題ステータス |
完了 (1997年度)
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配分額 *注記 |
1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
1997年度: 400千円 (直接経費: 400千円)
1996年度: 200千円 (直接経費: 200千円)
1995年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
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キーワード | 無 / 解釈学 / 存在論 / ハイデガー / ガダマー / 生 / 日本近代哲学 / 西田幾多郎 / 無の哲学 / 地平融合 / 近代的自我 / ハイデガ- |
研究概要 |
本研究は、初期日本近代哲学の西田哲学に代表される「無」の概念が、解釈学的に地平融合、影響作用史的過程を踏まえた西洋哲学の概念的衣装を纏うことによってこそ日常的に積極的意味を持つ必然性を考察することを試みた。それは無という概念の我々日本における位置の独自性の確認になると共に、無の普遍的存在様態の解明にもつながるのであって、ハイデガーとガダマーに学んで開発した解釈学的存在論を応用する試みでもある。本研究は、解釈学的存在論の方法を深め、明確化しながら進められたために、当初予定されていた初期日本近代哲学という歴史的概念の検討は十分に行われなかった。むしろ、この研究は初期日本近代哲学の採用した「無」の哲学という立場が西洋哲学の解釈学的哲学の中からある必然性を持って出来したということを理論的に深めるという思弁的側面のみについて行われた。それは萌芽的研究という当初の申請領域の性格上やむを得なかった。第1章の論文では、日本近代哲学が西洋哲学と日本思想の伝統が出会ったときに経験した地平融合のあり方を解釈学的に考察した。第2章では、地平融合に際しては無の概念が不可欠の要素として要請されることを明らかにした。第3章では、西洋哲学の無の概念がハイデガー哲学によって限界に達し、西田哲学の無の概念がそれを凌駕がする可能性を持つこと、しかし、一方では、西田哲学も解釈学的存在論によってさらに高次の存在概念によって捉え返される必然性があることを明らかにした。第4章では、地平融合に伴う痛みの問題を論じ、痛みを死の問題から無の自覚につなげ、「無」の哲学が存在論に必然であること、それが同時に解釈学的に行わなければならないこと、「無」の哲学を持つ我々の地平に優位性のあることが論じられる。総じて、日本近代哲学に於ける「無」の思想は決して単に反西洋的であったり、日本の伝統思想の流れの結果であったりするだけではない。それは解釈学的存在論の立場からすれば、そもそも存在論として必然的に出来するべくして生じたと言えるのである。
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