研究概要 |
I.ウパニシャッドにおいて輪廻の原因が欲望に基づくことが明言され,原始仏教ではさらに「欲望→慢→見」という順序で輪廻の原因を分析するが,「見」とはウパニシャッドや六師外道の思想であり,輪廻に関する議論が中心となっている。これを集成した『雑阿含経』見相応とアビダルマにおける『発智論』の見納息の両テキストを対照して基礎的研究としてまとめた。 II.輪廻の主体の問題について,ウパニシャッドでは一般にアートマンによって代表されるが,原始仏教の中からAlagaddupama-sutta(対応漢訳『阿梨〓経』)を検討し,「毒蛇の比喩」は仏典では欲望の喩えであり,原始ジャイナ聖典も同様であるが,この経ではアートマンの喩えであり,正しく把握することを説き,輪廻の主体であるアートマンは否定されるのではなく,誤った認識に導くために不可説とされるのである。 III.輪廻によって形成される世界観について,Brhadaranyakopanisad3,8とのAgganna-sutta(及びその対応漢訳)を比較し,原始仏典においては法が道理となって,業思想によって世界の展開を説明している。しかし,両者の視点が正反対であり,ウパニシャッドでは唯一なるものに帰納していく点が,原始仏教では世界がいかに展開され「苦・無常」であるのかという点が問題となっているのである。 Brhadaranyakopanisadの注釈について,従来Sankara注が参照されていたが,今回Vijnanabhiksuの注釈を発見し,このBrhadaranyakalokaが彼の真作であることを明らかにし,写本を校訂した。現在写本は第二章の途中までであるが,輪廻に関する部分の注釈はサーンキヤの体系に則した内容であり,Sankara注における議論を解明するうえでも重要であり,Vijnanabhiksuによる他のウパニシャッド注の校訂も含めて,さらに研究を進める必要がある。
|