研究課題/領域番号 |
07801010
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
美学(含芸術諸学)
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研究機関 | 九州芸術工科大学 |
研究代表者 |
藤原 惠洋 九州芸術工科大学, 芸術工学部, 講師 (50209079)
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研究期間 (年度) |
1995
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研究課題ステータス |
完了 (1995年度)
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配分額 *注記 |
1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
1995年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
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キーワード | デザイン / 日本近代 / バウハウス / 産業工芸 / 東京高等工芸学校 / 宮下孝雄 / 抽象化 / 便化 |
研究概要 |
1.バウハウス受容期、20〜30年代の近代日本におけるバウハウスの影響 バウハウス受容期のデザイン教育機関の時代別における対比を通し、影響の変容過程を明らかにした。 (1)20年代におけるバウハウス見聞の影響 日本近代におけるデザイン史上、造形及びデザイン教育の方法論の体系化と伝播・定着の形成過程に見られる大正時代末期からのドイツ・バウハウス(1919-1933)の影響は少なくないが、1920年代における当時の日本は、芸術と技術の狭間にあった工芸やデザインを科学的・実証的にとらえ直し、「産業工芸」の名のもと大量生産化・産業製品化に供する時代であったことから、1924年(大正13)の仲田定之助を嚆矢に見聞されたバウハウスに対し、中世社会の手仕事ぶりや職人集団組織の再評価を基盤とした教育方法論の意義やシステムが把握されないままであったと考えられる。22年(大正11)開校の東京高等工芸学校のカリキュラムにも反映されておらず、代表的理論家の工芸図案科教授宮下孝雄もバウハウスを工芸立国ドイツの一専門学校に過ぎないと見ていた。 (2)30年代におけるバウハウス「構成教育」の影響 バウハウス独特のデザイン教育システムが、日本人バウハウスラ-(学生)たちによって実証的に紹介されるのは30年代に入ってからのことである。予備課程としての「抽象化」作業と続く分野毎の工房教育等の情報が伝えられるものの、元来、ものを生み出すといった意味を持つ「Gestaltung ゲシュタルトゥング」の言葉が「構成」と翻訳されたため、バウハウスのデザイン教育は「構成教育」と理解されることとなった。川喜田煉七郎による新建築工芸学院(31年 昭和6)が中心であり、テキストとして川喜田編著による「構成教育大系」(学校美術協会発行)が発行された。 2.東京高等工芸学校工芸図案科教授宮下孝雄のバウハウス理解 大正期後半から昭和戦前期の日本を代表するデザイン教育機関東京高等工芸学校における最大のイデオローグ宮下孝雄の位置づけとバウハウス理解の様相を文献及び聞き取り調査を通し実証した。
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