河南安陽に王都のあった殷後期には、政治や儀礼に重要な役割をもつ青銅器に図象記号が出現する。1980年代以来の研究は、新たに発堀された資料にもとづいて、墓地構成や殷王朝の社会構造を解明する方向に検討が進められてきている。殷後期社会の復元を射程にいれた本研究は、まずその基礎作業として、各書に分散して報告されている図象記号を、その青銅器や出土遺構、共伴遺物とともに簡便なかたちに集成することにした。中国全土の殷周青銅器についてその集成をおこなった。そのうち報告書の中には紙幅の関係から河南安陽殷墟遺址群からの出土例に限定し、「殷墟出土有銘青銅器」として掲載した。 本研究では、また、青銅器の図象記号の分析から殷墟遺址群の都市構造ならびに殷周王朝の祭祀儀礼を検討した。この問題に関連して、私が実地調査をおこなっている長江中流域の屈家嶺・石家河文化の城郭集落にかんする小論文「Research on the walled sites during the third millennium B. C. of South China」と新石器時代から殷周時代の祭儀における動物犠牲の問題を論じた「中国古代の動物供儀」を補論として報告書の中に収録した。前者は1996年12月6〜8日にBritish Musemで開催されたMysteries of Ancient China国際会議において提供したものであり、後者は1997年5月25日に日本考古学協会第63回(1997年度)総会に発表するために準備したものである。 以上の研究成果を冊子体の報告書にまとめた。
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