研究概要 |
1584年にローマで教皇グレゴリウス13世は「メディチ家東洋語印刷所」を設立した.ここでいう東洋語とはアラビア語,シリア語,エチオピア語などを指す.その印刷所はメディチ家が出資し,監督者はライモンディであった.その目的は,イスラーム教に対しては福音書等のアラビア語訳をもちいて布教し,また東方教会のマロン派(アラビア語やシリア語を使用)に対しては印刷物を通じてカトリックに供合させ,プロテスタントに対抗する一大勢力を作ろうというものである.しかしその印刷所はすぐさまパトロンを失い,アラビア語に関しては10種の書物を出版するに留まった.これら書物は出版当時はすぐには流布することはなかったが,しだいにイタリア,イギリスで大きな影響を与えるようになる.その中には偽アッ=トゥーシ-版ユークリッド『原論』とアヴィセンナの『医学典範』とがある. 「原論」第1巻の第5公準(平行線公準)は中世アラビア数学では主要な研究テーマであったが,西欧中世では注目させることはなかった.しかしこのアラビア語で印刷された偽アッ=トゥーシ-版ユークリッド「原論」の受容で西欧数学のテーマが変わっていく,とくにイタリアではサッケリが,またオックスフォードではウォリスがそれを取りあげ,新たな「原論」研究が西欧世界で開始させる.この偽アッ=トゥーシ-版ユークリッド「原論」の内容に刺激され,アラビア数学への関心がさらに高まり,アポロニオス「円錐曲線論」などのアラビア語訳も研究され出し,ここに古代ギリシア数学の復興とともに,西欧にとっては新しい代数学などのアラビア的数学が導入される. 本研究は萌芽的研究であり,今回は「メディチ家東洋語印刷所」をめぐるアラビア数学研究の歴史的概略を描くには留まったが,さらに数学の詳細な内容に踏み込んで研究を進めている予定である.
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