当研究で対象とした「自伝」ないし「自分史」とは、語り手によって、過去の記憶の断片に現在の地点から意味付けされ、「人生」という、時間軸に沿った秩序ある統一体として構成されたテクストといえる。それは、極めて個人的な体験を語っているように見えながら、常に社会的文化的コードの支配を受けているので、同時代に生きた一定の共通的属性をもつ人々の自伝を重ね合わせて行くと、そこに共通の意味付けを発見することができると考えられる。以上のような視点から当研究では、昭和の戦中を生きた女性が書いたいくつかの自伝をもとに、女性たちが戦争と自分の行動をどのように意味付けているのかを分析した。以下、得られた知見をまとめる。 収集し得た自伝は職業に就いて来た女性が書いたものがほとんどで、そこでの中心的テーマは職業生活である。とりわけ職業を自発的に選択し、困難を乗り越え、自分の領域を主体的に切り開いて来た経緯が描かれる。例えば、戦時体制期に成立した保健婦となった高橋政子の自伝(『いのちをみつめて』ドメス出版、1995年)では、学校看護婦としての体験から農村衛生に関心をもち、戦時期に保健婦として地域の衛生向上に貢献した行動が描かれている。しかし他方では、「ずるずると戦争に協力していったかのような自分の在り方を検証せざるを得ない」と述べ、栄養失調の乳児の命を救った日に出会った戦車隊に対して感じた「腹立たしさ」を表現している。そして高橋は、「人的資源の保護育成」政策の「尖兵として」、「保健婦はスポットライトを浴びて、日本中あちこちで華々しく活動し、私もやがてその一人になってゆきました。」と自らを歴史の中に位置付ける。すなわちここでは、自発的に職業に取り組み地域に貢献して来た自己と、戦後に意味付けされた「侵略戦争」という歴史状況の中に位置付けられた自己が交錯しているといえる。今後はより多くの自伝を収集し、研究を進展させていく予定である。
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