本研究は、結果として、いわゆるハイパーテキストと呼ばれる小説作品への批評と、それへの批評の態度自体への更なる評価を通じて、テクノロジィの発展と文学史の関係、またメディア論を通じての小説批評の視点を考察するものとなった。 近年現われたハイパーテキストとその批評から翻っていわゆるポストモダン文学を考察する視線は、表象のシステムを問題化しようとした彼等の企みが実にその基盤となるテクノロジィ=印刷技術を無意識の前提とし、時にそれに寄りかかり、時にそれを抑圧しなくては成り立たないものであったのだ、という認識を可能とする。 表象不可能な他者としてこのように現われるテクノロジィとの関係がポストモダンをポストモダンたらしめるものであるのに対し、この認識枠は他方、ポストモダンと複雑な共犯関係にある20世紀アバンギャルドについて、それが芸術作品に偶有性を導入しようとした一連の試みなのだと理解する視座を提供する。(言い換えれば、テクノロジィと偶有性という独立した二つの軸を仮定することで、ポストモダンとアバンギャルドとの関係は明快に整理されるはずである。) そしてテクノロジィと偶有される読者の合体であるハイパーテキストは、実にこの二つの軸の交点として、現代の我々の最大の問題、偶有性と自我、そしてテクノロジィ、例えば、差別とは何かという問に、驚くほど深い理解への路を差し示すだろう。
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