本研究は1995年度のみを期間としたシベリアの諸民族のコミュニケーションに関する言語接触の観点からの予備的研究である。シベリアの諸民族の少なくともいくつかの民族は現在の居住地に至るまでに移動を経験している。また、トナカイ飼育をはじめとする放牧形態の生業をもつ民族は常に移動して生活していた。その過程でシベリアの諸民族は当然ながら異民族との接触を経験している。シベリアの諸民族間の接触としては「シベリアの諸民族とロシア人との接触」と「シベリアの諸民族間の接触」の2種がある。これらの接触においてコミュニケーションの手段として使われたのはそのコミュニケーションの場でより有力な方の言語であることは容易に推測されるが、シベリアにおけるこのような異なる言語間の接触によって生ずる現象は一様ではない。 本年度の予備的調査では実際にシベリアにおいてロシア人を含む異民族が出会った際にどの言語が選択され、どのように各々の言語にその異民族間コミュニケーションが反映されているかという点について特に語彙の面からヤク-ト語を検討した。ヤク-ト語はロシア人の到着以前にシベリアに到着し、有力な民族であったサハ(ヤク-ト)族の言語で、当時シベリア全域において有力な言語であり、リンガフランカとして用いられることもあった。その後、ロシア人の到着以降は翻って小言語となった。このような歴史をもつヤク-ト語においてはその語彙に、それまでに接触した例えば、モンゴル系言語、ツングース系言語、またロシア語や昨今では英語等からの借用語も見られた。これらは今後の課題としている形態、統辞レベルも含んだ言語接触の研究の意義を示唆するものである。
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