外国国家は、その主権的行為については国際法上「主権免除」を享有し、被告となることを拒絶しうる。ところが、同じ主権的行為でも、国家が原告となる場合には免除放棄を構成するため、訴訟は妨げられない。つまり、原告にはなるが被告にはならない、という特権的な地位を外国国家は享受することになる。しかしながら、これを国際法の平面で是正することは、現在の主権免除理論の枠中では難しい。かような場合に「国家行為理論」を適用し、フィリピン政府からマルコス元大統領に対する資産返還請求を却下した米国判例もあるが、国際的に承認された考え方とはいえない。他方、国際私法の平面からアプローチし、外国公法が準拠法となるときは裁判が許されない、との主張も見られるが、論拠に乏しい。そこで今日、ドイツを中心に比較的多くの賛成を集める見解は、問題を国際裁判管轄の平面で捉え、外国国家が主権的性質の訴えをなす場合、被告私人との「武器平等」の見地から、内国の国際裁判管轄が欠如するという。理論的にはこれが最も穏当なやり方であり、わが国でも解釈論的に採用しうるものと考える(後掲・神戸法学年報参照)。 今日の主権免除制度は、国家の人的特権から、行為の性質が主権的であるがゆえの事物的な裁判不能性の問題へと変容しつつある。このことは、例えばドイツにおいて、制限免除主義の導入に伴い、免除享有主体の範囲が著しく拡大したことからも看取しうる(後掲・国際法外交雑誌参照)。行為の性質の主権性のゆえに外国国家からの請求を排除する上記の考え方は、かような主権免除理論の変容とも軌を一にするのではないか。しかし、これは未だ仮設の域を出ず、なお一層の継続的かつ実証的な研究を必要とするであろう。 なお、本研究費補助金により、東京での資料収集、老朽化したパソコンのリプレースが可能になり、上記研究の遂行上多大の助けとなった。記して感謝の意を表したい。
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