研究課題/領域番号 |
07J05435
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研究種目 |
特別研究員奨励費
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 国内 |
研究分野 |
各国文学・文学論
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
佐藤 正明 早稲田大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2007 – 2009
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研究課題ステータス |
完了 (2009年度)
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配分額 *注記 |
1,500千円 (直接経費: 1,500千円)
2009年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
2008年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
2007年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
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キーワード | 翻訳論 / メディア論 / 精神分析 / キットラー / フロイト / ラカン / 性 / セクシュアリティー / カセット効果 / 日本語 / 漢字 / アルファベット |
研究概要 |
翻訳論、メディア論、精神分析を理論的に結びつけることを目指した本年度の研究では、フリードリヒ・キットラーのテーゼ「文字が保存するものは、ただ文字のみなのであり、それ以上でもそれ以下でもない」(『グラモフォン・フィルム・タイプライター』)に注目し、「翻訳が保存するものは、オリジナルではなく、ただ翻訳のみである」という仮説を立てることから出発した。メディア論の観点に立てば、文字という物質が記録しているのは、その背後に広がるアイディアの世界ではなく表面の文字だけであり、読み手がそこから読み取る意味と厳しく峻別されなければならない。同様に、「翻訳」と呼ばれる文字列が記録しているのは「翻訳されたもの」だけであり、その媒体の中に「翻訳されるべきもの」であったオリジナルは含まれていない。原文と翻訳の「等価性」や「誤訳」の問題は翻訳論で常に焦点を当てられてきたが、そこでは二つのテクストの連続性が前提され、かつ要求されている。これに非連続性、恣意性を対置させることで、翻訳論は精神分析的なダイナミズムへの広がり獲得する。原文の刺激に由来しつつもそこから断絶されて別の言語体系に現れた「翻訳」は、その国語に運動をもたらし、話者を新たな連想の連鎖に置くことができる。このとき翻訳は、原文の代理としての「翻訳されたもの」ではなく、独自の(シニフィアンの)論理に従って振舞う(話者/主体を)「翻訳するもの」となる。フロイトの用語において「翻訳」は「解釈」の意味で使用されることがあるが、彼が「翻訳/解釈」によって目指していたのは真理としての原文の正しい再構成ではなく、翻訳の連鎖としての連想が先に進むことだけである。ラカンが日本語の特徴として名指した「永遠の翻訳」とは、漢字というフェティシズム化された対象のまわりで「翻訳するもの」が循環してしまい、機能不全に陥った状態を指すといえる。
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