ソ連邦の社会主義が崩壊して以来、ロシアでは法治国家の原則が復活し、1992年には憲法裁判所が新設された。憲法裁判所は1993年憲法の下で再編され、以来法治主義の確立のために一定の役割を果たしている。 社会主義の時代は、「憲法監督」なる概念が存在したが、それは最高機関である最高会議幹部会が、合憲性の監督を行うというものであった。ペレストロイカの時代には、ソ連邦の憲法監督委員会が設置された。同委員会はやはり「監督」機関であって、限界はあったが、実質的には憲法裁判所的な機能を果たし、特に人権の擁護のために重要な役割を演じた。体制転換後、ロシア連邦憲法裁判所が設置された。憲法裁判所は、具体的な権利侵害に関して法令の合憲性の審査を行うばかりでなく、抽象的な合憲性審査も行い、さらに憲法の解釈を提示するという三つの権限を有する。 第一のものとしては、農家の相続権の否定(民法典)、移転の自由の規制(パスポートと居住査証制)などを違憲と認定した。第二の例としては、ロシア軍のチェチェンへの派遣命令(大統領令)を合憲と認定した。第三の例としては、議会による議決の基礎数となる議員総数とは、現員ではなく、定員であるという解釈を示した。 執行権と立法権の対立が続いている状況の下で、憲法裁判所の立場は、執行権にやや甘い点があるが、全体としては、政治的な立場を離れて、憲法の番人としての役割に徹している。過渡期の混乱と政治危機が続く状況の下にありながら、現在ではすべての政治勢力が憲法裁判所の判決を尊重せざるをえない状況が生まれており、その点で立憲主義と法治国家の建設という課題は、その最初の一歩を実現したといえる。
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