配分額 *注記 |
4,200千円 (直接経費: 4,200千円)
1998年度: 1,600千円 (直接経費: 1,600千円)
1997年度: 1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
1996年度: 1,500千円 (直接経費: 1,500千円)
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研究概要 |
本研究では,平安京の成立から衰退にいたる,平安時代の瓦の生産体制と需給の関係について,考古学と文献史料から総合的に研究したものである。収集した平安時代の古瓦資料は約4000点以上になり,今回作成した「瓦整理カード」(A-4版)に1/2に縮小して1点ずつ整理し,一部は既にコンピュータに入力し,今後新たな資料を追加していけるようにした。この研究では,特に平安時代中期には度重なる平安宮の焼亡に際して,地方産の瓦が多量に搬入されているが,その中にはどの地方から搬入されたものか不明なものがあった。この点について,近年各地で埋蔵文化財の発掘調査が進み,従来知られていなかった古瓦資料が発見され,これらについて,西は筑前,出雲,讃岐,吉備地方から,東は尾張,遠江にかけて現地で約100点の資料を収集することができ,平安京への搬入の実態が明らかになってきた。例えば静岡県湖西市の山口第17地点出土の瓦は生産地には供給されずに,平安宮の他に仁和寺,三条西殿,六勝寺などに搬入されており,年代的にみて,12世紀の第1四半期後半から12世紀の第2四半期前半頃と考えられ,後白河法皇の近臣であった藤原顕長がと遠江守として在任していた久安元年から四年頃に製作されたものということが明らかである。平安宮に搬入された経緯は更に検討しなければならないが,仁和寺は元永2年(1119)に炎上しており,その後に搬入されたと考えられる。このように搬入瓦は受領たちの成功によるものであったことが,文献と考古学資料によって明らかになり,平安京研究に新たな成果をあげることができた。
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