マイノングの対象論は、フッサールの現象学やラッセルの記述理論に大きな影響を与え、現象学と分析哲学の接点を見いだすうえで極めて重要な位置を占めている。対象論の出発点となるのは、無対象的表象のパラドクスである。無対象表象のパラドクスは、存在しない対象をどのように扱うかという「存在の問題」である。それと同時に、存在しない対象が表象されるという「表象の問題」でもある。このパラドクスに対し、フッサールは「存在・非存在を度外視」する「現象学的還元」という方法を用いることで、いわば「存在の問題」を棚上げし、「表象」の分析へ、そして意味の分析へと歩みを進めた。ラッセルの「存在の問題」に対する答えは、はじめから決まっていた。「存在しない対象などない」というのがそれである。それに対し、マイノングは、表象の分析を通して「存在の問題」に正面から取り組もうとしている。それによってもたらされたのが「純粋対象」の「超存在」といった「対象論」の概念であった。こうした議論の前提とされているのは、何らかの対象を表象することによって、われわれの認知が形成されるという立場である。しかし、こうした立場が成り立たないとすれば、これらの議論の出発点となった「無対象的表象」の問題に対しては、まったく別のアプローチがなされねばならないことになる。今日の認知科学や認知言語学は、人間の認知が表象主義的な立場からは考察しえないことを示している。しかし、われわれの認知が、表象によるものではないとしても、われわれが存在しない対象について思考し、判断していることは確かである。非-表象主義的な立場から見たとき、存在しない対象はどのように扱われるべきなのか。ここに、なお今後の課題が残されているといえるだろう。
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