中国の知識人レベルで保持されて来たいわゆる伝統文化は、中国という一つの文明に個性を与え、その特質を決定してきた。これは日常レベルでの生活文化とは異なり、意識的かつ歴史的に形成されてきたものといえる。この文化の総体を構造的に分析する道具的概念として「経学的歴史観」を設定する。経学的歴史観とは、漢代以降の中国知識人の脳裏を全面的に支配していた唐虞三代を理想視する経学(儒学)の歴史意識を抽出し、新たに歴史観として命名したものである。 この歴史観の主要なはたらきは、経書の尊厳性の根拠をなしていた点と、秦漢以降の王朝的支配体制の正当性の根拠を提供した点とにある。前者について説明すると、経書とは、まさにそれら唐虞三代の聖王たちの事跡を聖人孔子が一定の意図のもとに整理した諸文献であったわけである。後者について言えば、歴代の皇帝たちは常に堯舜の治を再現することを標榜し、かつそのように標榜する事のみが彼らの支配を正当化し得たのであった。 このような知識人の脳裏にいわば即自的に存在した歴史観を外部から把捉し、それに名称を与えることにより、伝統的文化構造の枠組みを客観的に分析する道が開けてきた。今後は、時間的な概念の外に、空間的な概念、つまり経学的歴史観の舞台である「天下」という概念を究明することが必要であろう。それにより、経学的歴史観のもつ意味自体も、いっそう明らかになってゆくものと思われる。
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