研究課題/領域番号 |
08610050
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
美学(含芸術諸学)
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研究機関 | 弘前大学 |
研究代表者 |
尾崎 彰宏 弘前大学, 人文学部, 助教授 (80160844)
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研究期間 (年度) |
1996 – 1997
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研究課題ステータス |
完了 (1997年度)
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配分額 *注記 |
1,800千円 (直接経費: 1,800千円)
1997年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
1996年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
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キーワード | ネ-デルラント / ル-ベンス / レンブラント / 絵画市場 / イデオロギー / オランダ絵画 / 想像の共同体 / オランダ / 美術商 |
研究概要 |
1ネ-デルラントの画家たちは大なり小なり工房をもち、絵画作品の生産と弟子の教育にあたっていた。その中でももっとも重要な野心的な工房は、ル-ベンスのものである。その工房の在り方が、レンブラントに大きな影響を与えた。かれは、イタリアから帰国後アントウェルペンに居を構え、そこに大がかりな工房を設けた。かれがそれまでの工房経営者とくらべて特異であったのは、当時フランドルの統治者であったアルベルト対抗と王女イサベラの宮廷画家を断った(ただし年金は受領する)ばかりか、街の画家組合の統制からも自由に活動することができた点にある。その結果、ル-ベンスは、宮廷の権威を背にしているものの、その煩わしさから自由になり、画家組合の販売の制約もかわし、かれはおのれの作品を好きなように販売する権利を獲得した。 2ル-ベンスの絵画生産の手法はこれまでに例がないほど独特であった。つまり、かれは、おのれが一人で仕上げたものであっても、構想だけであとは助手や弟子が主として製作にあたったものであっても、販売価格に差をもうけなかった。こうすることで、数多くの作品を高価で裁くというやり方をとることができた。 3こうしたル-ベンスの販売戦略に影響を受け、熱いライバル意識を燃やしたのがレンブラントである。かれは、このル-ベンスの工房のやり方、つまり、画家の名前は一種のブランド名として市場戦略を描くことの利点を修得した。その意味では、レンブラントこそル-ベンスの最大の理解者であったということができる。 4近代の絵画市場へ大きく踏み出したオランダ絵画は、それだけではなく、社会のイデオロギーを表象する鏡としての役割を果たした。とくに、日常世界での女性の発見や、現代のハイパーテクストに繋がるような要素を絵の中に持ち込んだ。
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