映画は、今年一九九五年で満百歳をむかえる。しかし、これは映画が発明されて百年になるという意味ではない。映画を撮影鑑賞するのに必要な機材は、一八九五年以前にすでに実用化されている。では今年を映画生誕百年と呼ぶのは、どういうことなのか。それは映画が今日の上映形態に近いかたちで、初めて公共の場所でスクリーンに投影され、それを見るために一般の観客が入場料をしはらって一堂に会したのが、ちょうど百年前のことになるということである。つまり映画が、のちに映画館と呼びうるような場所で公開された一八九五年を、映画元年としているのである。 今日さまざまな種類の映画史が書かれ、映画の歴史は映画作品の歴史、映画作家や映画製作会社の歴史、あるいは映画技術の歴史として広く知られている。しかるに、われわれは肝腎なことをまだよく知らないでいる。それが映画館の歴史であり、映画館をにぎわせた観客の歴史である。だれがどのようにして映画をつくったのかという歴史は、比較的多くの研究者によって解明されている。しかし、だれがどのような場所で映画を見せたのかという歴史、そして観客がどのように映画を享受したのかという歴史は、いまだに不分明な点が多い。括弧つきとはいえ、「映画館」生誕百年を祝う今年は、劇場とそこにつどう観客の歴史の研究元年としなければならないだろう。
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