フランシスコ・ゴヤが1799年に発表した版画集「気まぐれ」の解釈において、その重要な特徴と考えられているアクワティントの表現をゴヤがどのように習得したのかについてはまだ十分な解明がされていない。これまで18世紀後半のスペインの版画の状況とゴヤとの関係を視野に入れた研究はなかったが、報告者はマドリードの国立銅版画院と国立図書館における調査を通じて、ゴヤとスペインにおけるアクワティントの普及との事実関係を整理することができた。 そこには次の3点を指摘することができる。まず第一に、ロンドンから帰国したバルトロメ・スレダ(1769-1850)が、1797年に「気まぐれ」の前段階の「夢」を制作中だったゴヤへ、アクワティントを教えたと考えられていること。だがその実際は明らかにされていない。第二番目にゴヤの同時代の版画家ホセ・ヒメ-ノが、1790年にアクワティントを巧みに用いて作品を制作していたこと。最後に当のゴヤも、おそらく1780年代に「ベラスケスの模写」において初歩的ながらアクワティントを試みており、これは当時スペインのもっとも早いアクワティントの作例となることである。 「ベラスケスの模写」はまた、王室絵画コレクションの複製版画という企ての面からも、新技法の使用の面からも、かなり意欲的な試みであった可能性の高いことが推察できる。美術アカデミーで版画家育成の体制が整い、ビュラン彫りによる複製版画の需要が高まっていた当時の状況を考えれば、「ベラスケスの模写」に従来よりも積極的な意味を持たせた解釈が必要であると思われる。
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