研究課題/領域番号 |
08610182
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
社会学(含社会福祉関係)
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研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
材木 和雄 広島大学, 総合科学部, 助教授 (70215929)
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研究期間 (年度) |
1996
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研究課題ステータス |
完了 (1996年度)
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配分額 *注記 |
1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
1996年度: 1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
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キーワード | ユ-ゴスラビア / セルビア / クロアチア / 民族問題 |
研究概要 |
本研究は、セルビアとクロアチアの対立の起源を探るため、ユ-ゴの近現代史を再検討した。セルビア人とクロアチア人は、同一の言語を話す民族であるが、別々の歴史・文化伝統をもつ。両者は第1次世界大戦中に統一国家の形成を合意した。しかし、国家形態を連邦制にするか中央集権制にするかで、両者は争ったが、セルビアの主張する中央集権制で決着した。これに不満なクロアチア人は自治権を要求し、「クロアチア問題」が起こった。その後、クロアチア自治州の形成(1939)が民族問題を解決するかのように見えたが、しかし枢軸諸国の占領で崩壊し、両民族の対立はいっそう深まった。 戦時中、チト-が率いたパルチザンは、インターナショナリズムと民族同権の立場に立ち、支持を拡大して、ユ-ゴを解放した。戦後のユ-ゴは1.連邦制と2.社会主義3.一党制で構成されたが、セルビアは共和国に格下げになり、しかも2つの自治州を設定された。セルビア人はこれに不満とし、「セルビア問題」が起こった。1974年の憲法改正により、ユ-ゴ連邦を同権・同格の共和国・自治州の連合体に編成されたが、セルビア人の不満は一層高まった。チト-の死後、民族問題は表面化した。セルビアのミロシェビッチは覇権主義的行動をとり、民族主義を煽った。彼は自治州の自治権を事実上取り上げ、モンテネグロを支配においた。これにスロベニアが大きく反発した。東欧革命が波及し、1990年1月にユ-ゴ共産党は分裂した。 1990年の自由選挙ではスロベニア・クロアチアで共産党が敗北した。しかし、セルビアでは旧共産党が圧勝した。そして国家形態をめぐる対立が再燃した。前者は国家連合を主張し、後者は連邦維持を主張したが、合意は得られなかった。1991年6月にスロベニアとクロアチアは独立宣言をし、戦争が勃発した。 結論的にいって、ユ-ゴは民族問題の解決策としてできたが、そのために民族問題が起こった。しかしこの対立がなぜ悲惨な戦争に至ったのかは今後の研究課題である。
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