研究課題/領域番号 |
08610275
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
教育学
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研究機関 | 大阪市立大学 |
研究代表者 |
豊田 ひさき (豊田 久亀) 大阪市立大学, 文学部, 教授 (70079127)
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研究期間 (年度) |
1996 – 1997
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研究課題ステータス |
完了 (1997年度)
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配分額 *注記 |
1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
1997年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
1996年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
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キーワード | 初等学校教師 / 授業法 / 教師の力量形成 / 実践記録 / 学級授業 |
研究概要 |
わが国の小学校における授業実践の方法と技術のレベルは、「学制」発布以来急速に発展し、20世紀初頭には欧米先進国と肩を並べる。授業実践の方法や技術の発展は、欧米からそれらを移入し、師範学校を通じて全国へ普及されたものを小学校の現場教師が修正・発展させてきたという歴史的経過をたどる。この発展過程を19世紀までの英独とわが国の授業実践記録を踏まえながら実証的に検討して、次の諸点が明らかになった。 1 最初の本格的な民衆初等教育は、フランケ学園の孤児院の厳しい躾と学級授業を特色とする。 2 オ-フェルベルクは学級授業で子どもの自己活動を促す指導方法を体系化し、教師の力量形成に努めた。 3 プロイセンでは、ディンターとペスタロッチ派の授業記録を分析・検討、ペスタロッチ派の授業は全くの機会主義で、それを批判したディンターも子どもの自己活動を促す授業法を体系化した。 4 イギリスの初等学校での助教システムによる授業は、賞・罰を利用し、その時々の成果・振る舞いにより子どもを瞬時に分配していく「近代的な」子ども管理によって行なわれていた。 5 わが国の明治10年代の小学校では、劣悪な教育環境にもかかわらず、子どもに寄り添う授業指導に腐心した教師が各地に何人もいた。 以上の考察から、民衆初等学校では、専ら経済的効率から学級一斉授業という形態が採られ、この授業形態は従来から個性無視の一斉画一教育と批判されてきた。が、学級授業というシステムが一斉授業をもたらすのではない。教師の教育観や指導力量によって、充分に子どもの個性を重視した授業も可能であり、またその方向での授業実践がドイツにも、わが国の明治10年代にも存在したことが明らかになった。
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