本研究は、近代日本における幼稚園教育の展開とその特質を、1900年代以降に欧米のフレーベル主義幼稚園批判の影響を受けて展開された幼稚園論の検討を通して明らかにしようとするものである。 明治末期から大正・昭和初期にかけて、欧米のフレーベル主義幼稚園批判の影響を受けて日本でも幼稚園論がさまざまに展開された。それは幼稚園教育の目的や方法、さらには幼稚園自体の存在意義を問うものまで多岐にわたるが、この時期の幼稚園論が幼稚園関係者のみならず、教育学者や文部当局者までも巻き込み、日本の幼稚園そのもののあり方に再考を迫るものであったことは注目される。幼稚園令における社会政策的立場からの幼稚園機能の拡大などは、そうした過程をへて選択されたものであり、その意味では、この時期の幼稚園論の展開はその後の日本の幼稚園教育のあり方を方向付ける重要な役割を果たしたということができる。 そこで、本研究では1900年代以降の幼稚園論のうち、とくに幼稚園改革、幼児教育制度改革論に焦点をあてて検討を行った。なかでも、その中心的人物であった森岡常蔵や倉橋惣三らの幼稚園論については、ドイツ、アメリカの幼稚園論との比較検討を通してその性格を考察し、そこで提起された日本の幼児教育改革の方向性とその理念を明らかにした。また、戦時下の国民幼稚園論には幼保の一元化や幼稚園教育の義務性の主張も含まれており、それは戦後の幼児教育改革ともつながる内容を有していた。本研究ではそうした戦時下と戦後の連続・非連続の問題にも着目しながら、戦時下の幼児教育論の検討を行った。そして戦後の幼児教育制度改革についていえば、それは新たな理念のもとでの戦時下制度改革構想の実現であったことが明らかとなった。
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