1820年代に大都市を中心に設置された幼児学校は、貧困な両親を幼児の世話から解放し、彼らを悪徳と危険から守ることを目的とした。その保育方法は、幼児の能力や発達の理解や興味・楽しさに対する配慮、事物や絵を用いる実物教授、幼児の健康や道徳、知力の調和的な発達に対する配慮という利点を持っていた。だが、幼児学校は、本質的には、厳格な時間割に基づいて、一斉に読み書き算数の初歩や道徳・宗教原理に関する知識を教え込み、機械的に暗記させる初等学校の教授方の伝統から離脱できなかった。保育所は、救済機関として位置付けられ、その保育は、本質的に保護的であり、多くの教育的要素を導入することは困難であった。その教育的努力は、4、5歳児に対して、一日のある時間専門的に養成された教師によって幼稚園教育やモンテッソーリ教育、あるいは保育学校の教育を提供するという形態をとってきた。保育所に通うすべての乳幼児を対象にした教育は、1931年に全国保育所協会によって出版された『保育所マニュアル』による提唱まで待たねばならなかった。20世紀初頭の米国における保育学校の保育方法は、第一に幼児との信頼関係を基盤にして、幼児の興味を糸口にして、彼らの自発的活動や経験を重視するとともに、彼らの成長発達に適した環境の重要性を強調した。第二に、仲間集団による社会的能力の育成を計った。第三に、幼児は、幼児の成長発達に関する教師の共感的・専門的な指導が重視された。第四に、生後18ヵ月から3歳の子どもに対する世話と教育を一体のものと考えていた。第五に、自然な遊びも、子どもの心身の発達を助長するのに重要であることが発見されていた。
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