本研究の目的は、社会史的な視点から、鎌倉時代の武士の地域間ネットワーク支配のあり方や東国の西国への移住(西遷)によって生じた日本列島の社会の変動などを解明することにあった。 具体的にとりあげたのは、下総国を本拠とする千葉氏とその一族である東氏のケースなどである。この研究によって以下の諸点が明らかになった。 (1)鎌倉幕府成立期に千葉氏が九州各地に獲得した所領の分布は、12世紀末の内乱による軍事占領と当時の交通体系を反映するものである。(2)千葉氏の所領である肥前国小城郡の相続のあり方。(3)肥前に移住する以前の千葉氏による代官支配の実態。(4)遠隔地間の流通・交通において京都や鎌倉が果たした都市機能。(5)千葉氏が肥前に進出する際に用いた宗教政策。(6)千葉氏に従って肥前に移住した家臣たちの系譜。(7)千葉氏が肥前に移住した後も、東国武士社会で権威を認められていた「千葉介」という伝統的称号の使用に固執していた。(8)美濃に移住した東氏が16世紀に至っても、東国の千葉氏と密接な政治的な関係を保っていた。(9)東氏は鎌倉・室町時代をとおして在京することが多く、そのため歴代に歌人・禅僧が輩出している。(10)千葉氏も東氏も西遷に際して京都文化摂取に積極的で、それは特に肥前千葉氏の本拠地である小城の都市景観に顕著である。(9)千葉氏ばかりでなく、その一族である東・白井民も、西遷に際して千葉民一族共通の氏神を伴っており、その祭祀を媒介にして遠隔地にあっても一族としてのアイデンティティを保ち続けた。 本研究の成果は、日本社会にたいする自己認識を深める上で是非とも必要な日本社会論・文化論構築のための材料を提供するものとなろう。
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