研究課題/領域番号 |
08610358
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 山陽学園短期大学 |
研究代表者 |
池田 道人 山陽学園短期大学, 人間文化学科, 教授 (90269986)
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研究期間 (年度) |
1996 – 1998
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研究課題ステータス |
完了 (1998年度)
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配分額 *注記 |
1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
1998年度: 200千円 (直接経費: 200千円)
1997年度: 400千円 (直接経費: 400千円)
1996年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
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キーワード | 厳島神社 / 有浦 / 町家 / 祀官衆 / 自治組織 / 掟書 / 環境保持 / 構成形態 / 巌島 / 町割 / 門前町 / 港町 / 社家 / 商人 / 厳島歴史民俗資料館収蔵庫収集資料 |
研究概要 |
厳島町は大きく東町・西町と二分され、さらにいくつかの町から構成されている。これまで天正3年の「毛利輝元安堵状」が東西呼称の初見と知られていたが、これと全く同内容の同人安堵状の別資料があり、これには「西有浦」と表現されていること、さらに永禄4年には「有浦衆、西年寄衆」、元亀2年に「有浦衆、西町衆」とある資料から、東地域は古くは東町と呼称される以前には船泊まりの入り江の有浦という地名が使用されていたことを実証した。これは祀官衆の集住地域の西町に比して、町屋で構成された東地域の町の形成が遅いことを明白にした。またこれまで厳島の自治組織である惣中の初見は天正14年とされていたが、永禄4年に「有浦惣中」の資料を見つけ、上記の「有浦衆、西町衆・西年寄衆」は惣の代表であったことも成果として確認した。次いで、大内氏・毛利氏が厳島に発布した掟のなかで、厳島神社の周辺の人家・仮屋などの家作や消火活動の問題、神社後方の二つの川の塵芥処理、掃除の問題や前島民共通の掃除の励行などを検討することにより島民人口の急増なかでも東地域への急増状況を明白にした。さらに東地域の地名・町名・小路名の出現時期、東西両町に属する各町の町名の変遷を検討することにより、厳島の町の形成・発展に一定の成果を上げることができた。しかし慙愧に耐えないのは、宮島町が財政不足を理由に平成9年度末で宮島町史編纂事業を中途にて終了し、町史編纂に向けて収集された膨大な資料の収蔵庫も閉鎖された事である。少し前から予想されたことであったので、資料を渉猟して今後の研究活動に資することとして資料収集に時間・費用を費やした。そのため研究の成果を十分に上げることができず、町の変容過程の究明までには及ぶことができなかった。今後はさらに収集資料を分析し、厳島門前町の発展・変容の過程をさらに追及することに努める計画である。
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