研究課題/領域番号 |
08610362
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 千葉県立中央博物館 |
研究代表者 |
内田 龍哉 千葉県立中央博物館, 自然誌・歴史研究部歴史学研究科, 上席研究員 (60250172)
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研究期間 (年度) |
1996 – 1998
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研究課題ステータス |
完了 (1998年度)
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配分額 *注記 |
1,800千円 (直接経費: 1,800千円)
1998年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
1997年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
1996年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
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キーワード | 房総 / 漁業史 / 紀州 / 漁村 / 魚肥 / 海上交通 / 関東 / 漁業 / 海運 / 三陸 / 移住 / 水軍 / 摂津 |
研究概要 |
紀伊・和泉・摂津の漁民が、近世初期に関東沿岸へ出漁したことは、これまで魚肥流通史研究に関連する史料から推測されていた。これは近世初期における関東→関西の魚肥流通発展の前史として、多様な海上交流が一面的に理解されていたことを意味している。そこで、本研究では関西漁民の関東出漁を、畿内・伊勢・→関東間の海上交流という視野から再検討することを試みた。 本研究においても「先祖六右衛門従申伝事」や「善覚寺過去帳」などの史料によって、魚肥流通の展開からでは説明できない複雑な漁民の動きが在地で発生していることが判明した。そこでは、出身地による勢力の消長が見られたが、栖原屋角兵衛から推測される宗教対立に由来する移住という要素は、今のところ確認できない。また、関東沿岸その他の地域に展開した関西漁民と出身地である紀州藩との身分的隷属関係は近世を通じて維持され、そのことが紀州藩のさまざまな直積登仕法を生み出す背景をなすとともに、化政〜天保期に幕藩制的市場構造を揺るがす原因の一端を成したのである。 なお、水軍については今川氏治下の駿河国や後北條氏治下の相模国において紀伊あるいは伊勢・志摩地方に出自を持つ水軍が参集していることが判明しているが、そのことと関東沿岸への出漁民を直接関連づける史料は本研究では確認されなかった。しかし、浦賀湊が後北條氏の対里見工作の拠点であることや、徳川氏がその水軍配置を踏襲したこと、東浦賀が房総から畿内への魚肥集散地となったことは、両者の関係を推測させるに十分な状況と言えよう。
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