反ユダヤ主義の成立には、二つの要因を考慮する必要がある。つまり、半ば超歴史的なユダヤ人への偏見という長期的、共時的要因と、それが具体的な政治運動に現象する際の社会的要因である。歴史学的な認識関心からすれば、後者が重要である。というのも、ナチズムによるホロコーストは、何より後者の次元において解明されなくてはならないからである。 政治的現象としての反ユダヤ主義は、近代化による社会変動を抜きにして考えられない。反ユダヤ主義を担った中間階層は、「近代化の敗者」という自己認識をもっていた。反ユダヤ主義的な政治運動は、彼らの抗議運動としての性格を色濃くもっている。したがって、表面的な反ユダヤ的言辞の一方で、これらの運動は社会改革的な側面を強く備えていた。農民を主たる支持大衆とする運動の場合には、農民運動としての性格が強く、手工業者が運動を支えた場合には、手工業保護の目的が鮮明となった。その際注意しておきたいのは、彼らの唱えた「ユダヤ」観念ははなはだ伸縮自在だったことだ、それによって、ユダヤ人に対する差別や排斥そのものを越えて、近代の社会的現実を攻撃することが可能になったのである。 反ユダヤ主義は、帝政期ドイツに普及していた反近代主義の一翼を担っていた。復古的シンボル、近代への反発、社会批判の包括性・全体性などの点からして、反ユダヤ主義を西洋近代における一種の原理主義と捉えることが可能である。 現代ドイツにおける極右運動も、現代世界のグローバル化という深刻な社会変動との関連で捉えることができよう。
|