本年度は先ず、皇帝裁判の審理過程を史料から再構成してみた。それは次のような手順で進行した。(1)皇帝が顧問団と共に着座し、訴訟当事者たちは弁護人と共に帝を挟んで対峙する。(2)彼らは水時計で定められた時間内で告発と弁明を交互に行う。(3)当事者への審問は皇帝に限られ、顧問団は傍聴するに留まる。また証人尋問や証拠調べがなされる。(4)皇帝は判決について顧問団に諮問し、その後で判決を宣告する。(5)判決執行。以上の過程の中で、(4)に対して更なる検討を加えた。つまり、顧問団が諮問に対して提示する判決案が裁判官たる皇帝によって如何に扱われたかを考察した。具体的には、顧問団の多数決が判決を決め、皇帝はこれに従って宣告したにすぎないのか否か、という点である。その結果、以下の結論を得た。民事訴訟においても、刑事訴訟においても、皇帝は必ずしも顧問団の多数決に従わず、独自の判断で判決を下しえたことが判明した。顧問団が提示する判決案は皇帝に対して何ら拘束力を有さず、彼にとっては単なる参考意見にすぎなかったのである。しかし顧問団の陪席が無意味であったとは一概に言えない。というのも顧問団の意見が皇帝に影響を与えたであろうことは少なくとも認めるべきと思われるからである。また顧問団は「貴顕の人士たち」から構成されていたため、彼らの公平な意見が順当なる判決を導くに違いないという期待感を訴訟当事者たちに抱かせていたことが史料から窺われた。即ち、顧問団の陪席こそが皇帝が下す判決に客観性という虚構を与えることになったのである。これにより、そもそも法的根拠に欠ける皇帝裁判は制度としての正当性を具備しうることにもなったと言えよう。
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