本研究は、近世街道・石畳遺跡を中心に、道の構造的・技術的発展過程を考古学的に明らかにし、道のはたしてきた社会的・歴史的意義を究明しようとしたものである。 平成8年度は、島根県石州街道遺跡三坂峠石畳の発掘調査を実施するとともに、東海道箱根旧街道石畳などの実地調査を行い、石畳の敷設技術などの比較研究を行った。石州街道では、大型・厚手の自然石を用いて側縁を直線的にそろえ、側縁部から順次敷設する方法がとられ、広島県西国街道向原石畳と同じ方法であることが明らかにできた。また箱根旧街道西坂の石畳は、側縁は大型石を直線的に配置しているが、石材は扁平であり、石敷面に斜めの排水施設を設けるなどの違いがみられた。しかし東西の石畳は、基本的な構造・技術は共通していることが明らかとなった。 平成9年度は、旧石器時代から弥生時代までの道について研究を行った。これらの時代は、近年の大規模調査により道も断片的に検出されているが、実体は明らかでないため、遺跡の分布状況から道・交通網について究明した。特に広島湾岸地域では、縄文時代の生活領域の境界は山稜であり、特定の山などを目印として区分できる。その境界線は弥生時代の境界と重なるようであり、また古代の官道と一部重なっている。道をつくる際の選定基準の一つに、石器時代以来の生活領域の境界があるのではないかと考えられた。 道は、基本的には土道であり、古墳時代以降に砂利道、中世に石敷道が現れ、近世江戸時代に石畳道が普及する。石畳の敷設年代では19世紀前半の文化・文政期が多く、この時期が石畳敷設の一つの画期と考えられた。その背景には、社会的・経済的要因が考えられるが、緒要因の究明は今後の課題である。
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