研究概要 |
各地の図書館や文庫等を訪れ、江戸末・明治初期韻学に拘わる音韻研究所を探し、その調査と資料収集等を行った.その結果、江戸末・明治初期韻学に対する欧米言語学、あるいは東洋語の日本韻学への影響については、行智御呼び上田万年を抜きにして語ることができないこと、またを知った。 (1)大東急祈念文庫の文献の行智関係のハングルの分析を通すことによって,江戸末期の日本韻学が朝鮮語の利用の元で一代発展を遂げ、次の明治初期韻額への発火点、そしてこれと矛盾するかのようであるが終着点を用意した。この点において、行智には江戸末期韻学への外国からのインパクトを飾るモニュメンタル的な意義があった。なお、この点に関しては、行智のハングル利用書の発掘という成果を得た。 (2)明治初期における西洋言語学の積極的かつ急進的な移入について、この方面の日本人の先駆者は上田万作であることが、彼の言語学や日本語学研究において看取された。万年の研究活動については今日まで必ずしもそう多く述べられておらず、その生涯もまた同様である。しかしながら、新村出、小倉新平等の本格的な欧米言語学の移入者に若干先だって、すなわち、明治中期に欧米言語学の日本移入の糸口をつくったことを確認できた。ただし、彼が日本韻学に与えた具体的な影響については現在までの所、なお解明し切れていない。
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