筆者は、次の3つの目的をもって表記の研究課題に取り組んだ。(1)法務省旧本館に関する図面を分析して、エスキスから実施設計までの過程を明らかにする。(2)旧本館の耐震・防火構法をドイツの建築構法との比較によって位置付ける。(3)そして、旧本館の創建時の構法を明らかにする。 :まず、図面の成立史については、現在、神戸芸術工科大学教授の坂本勝比古博士が保管されている旧本館に関する51点の図面を分析し、1887年から1892年に及ぶ図面(半分以上の図面に年月日はない)の年代を推定し、第1次案(西洋式)、第2次案(和洋折衷)、第3次案(再度西洋式)に分類することができた。 次に、旧本館に現存する煉瓦ヴォ-ルト床は、当時のドイツではプロイセン型ヴォ-ルトと呼ばれた構法に類似するもので、各種あった防火床のなかでは最も単純なものが使用されたことを明らかにした。 そして、旧本館の創建時の構法については、とくに3階床に関する建築仕様書を徹底的に解読して図解するとともに、解体調査で発見された3階の鉄筋コンクリート補強梁と煉瓦被覆梁は、濃尾地震(明治24年/1891)以後の緊急の地震対策から生まれたものであったことを明らかにした。 以上の成果は、日本建築学会大会ならびに日本建築学会関東支部研究報告集で発表した。日本の近代建築技術である耐震ならびに防火構法は、明治20年代半ば以降に発達したとされる。法務省旧本館の構法の研究は、建築技術が近代的発展をまさに開始しようとした時期の構法を明らかにすることにほかならない。
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