19世紀初頭における橋梁設計に関してクロード・ナヴィエとマーク・セガンの比較対照を試みた。ナヴィエは、エコール・ポリテクニ-ク(理工科学校)出身で橋梁土木学校の教官でもある人物で、イギリスで発達しつつある吊り橋の技術をフランスに導入しようとした。その際にイギリスの吊り橋に関する長編の報告書が書かれ、その中でイギリスの吊り橋建設の現状が解説されるとともに吊り橋の力学に関する数学的な理論が展開されている。数学と芸術性を重視する理工科学校と土木学校の伝統から、ナヴィエはジョセフ・フーリエが熱伝導論のために開発していたフーリエ解析を応用し、特に重い物体が通過したときの吊り橋の安定性について分析した。しかしナヴィエの設計した橋の一つは、壊れてしまったことが知られている。一方、セガンは理工科学校を卒業しておらず、気球で有名なモンゴルフィエ-の親戚であり、その縁でモンゴルフィエ-から若干の指導を受けていた。ちょうどナヴィエと同じ頃、弟と協力して吊り橋の設計と建設を行い、建設された橋は実用に耐えることになる。 ナヴィエとセガンの対比については、最近ではフランスの技術史家アントワーヌ・ピコンやオランダの技術史家エダ・クラナキスらが研究を進めている。ピコンは、18世紀中葉から19世紀中葉にかけての土木学校の歴史を丹念に追い、その中でナヴィエの科学上・技術上の業績を評価している。一方クラナキスは、数学理論重視のナヴィエと実用重視のセガンのスタイルの差を指摘した上で、それと彼らの教育背景の差、そして19世紀フランス社会におけるスタイルと教育背景を異にする二人の社会的地位の差について論じている。クラナキスは米国の技術者との比較も織り込んだ著作を最近出版している。
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