本研究は図像分析の方法をもちいて現存する来迎図から失われた来迎図像の成立年代に考察を及ぼすことを試みたものである。来迎図の遺例のうち京都・三千院蔵阿弥陀聖衆来迎図、福井・安養寺蔵阿弥陀二十五菩薩来迎図(重要文化財)を主要な対象として光学的調査を行い、様式および図像の検討を行なった。これら二作品は鎌倉時代の制作とされるが、細部の諸形式に古様をとどめていることが注目された。 三千院本については画中の色紙形に正暦5年(994)天台僧源信の作と伝えられる賛が墨書され、類本(奈良・興福院本、滋賀・西教寺本)の存することも知られている。その画面構成や尊像構成は鎌倉時代に盛行した浄土宗系の来迎図とは系統を異にしており、天台浄土教系来迎図の一つの原型を比較的忠実に継承していると考えられる。阿弥陀聖衆の肉身、着衣、坐法、蓮華座や飛雲に認められる古様な表現形式から、基づくところの原図像は9世紀に遡ると考えられる。また安養寺本も三千院本とは別種ながら、部分的に認められる古様な特徴から古い来迎図像をふまえていると考えられる。 これまで来迎図は源信による浄土信仰の鼓吹を背景に平安中期、10世紀末に成立したと推測されていたが、三千院本の原図像の制作年代は源信の時代を遡ると考えられる。平安前期の天台浄土教には既に唐代の多様な来迎図像がもたらされていたことが窺われ、失われた比叡山東塔常行三昧堂の壁画、九品浄土を考えるうえでも興味深い。三千院本が源信に仮託されていることは、観経変相の九品の来迎図像から独立した来迎図が派生する過程で源信が果たした役割を示唆しているのではないだろうか。
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