本研究の目的は、家訓、家憲を主な資料として、明治大正期の「家」を当該社会の人々が生きた文脈においてとらえ直そうとするものであった。研究の成果として、当時の「家」、特に資本家にとっての「家」の存続には、多角化する経営体の資本を共同所有の機構によって「家」に固定するという物的資本の継承の側面と同時に、象徴財の獲得と存続が重要であったことを指摘できる。「家」は物的な継承財を超世代的に存続していく体系であったのみならず、当該社会の身分や威信の準拠体系でもあったのである。今回の研究は、主に後者、明治期における象徴財の獲得の過程を明らかにすることに重点をおいた。明治期以降の資本家の子弟の婚姻や養子の関係を具体的に監察すると、明治大正期には近世社会に見られなかった新しい通婚先が見いだされた。この点が、もっとも顕著であったのは婿養子の属性である。婚姻関係によって身分や階層を上昇させていこうとする家族の戦略は日本に限って見いだされるものではない。その際に階層を維持しようとする目的の内婚の徹底と、より優位に自身の身分を上昇させようとする上昇婚という大きく2つの戦略を指摘することができる。明治大正期の資本家に望まれ、同時に獲得が可能となった婿養子の属性は、旧華族(武家、公家)といった旧家の「伝統的」な格と、学歴エリートという新しい格であった。新しく明治大正気に獲得が可能になった象徴財を積極的に取り込む一方で、内婚による本家、分家、別家間の身分秩序の再生産も行われており、この時期の資本家たちは、それまでの「家」の存続は守る一方で、新しい社会に適合的な象徴財をも取り込むことにより、近代社会に適合的でかつ高い威信を獲得できる「家」への再編を積極的に試みていたのである。
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