研究概要 |
家族療法において発展させられてきた物語論(例えばその代表的な理論家としてL.HoffmannやGoolishian/Andersonなどをあげることができる)のフレイムワークを、一般に構成主義constructionismと呼ばれている理論的立場(例えばその代表的な理論家としてK.J.Gergen、M.M.GergenやBurr,V.をあげることができる)と比較・検討し、その固有の特徴を明らかにした。すなわち後者は自己という現象がその基底においてはらんでいるパラドクス(自己と他者のパラドクス、私を見る私というパラドクス)を視野におさめないことによって完結した体系たり得ているのに対して、前者はまさにそのパラドクスに照準し、それが日常生活においてどのように脱パラドクス化されているのかを理論化しようと試みるものである。「物語」(これは<視点の二重化>、<事象の選択的・構造的配列>、<他者への志向>という三つのモメントによって定義されるのだが)というのはその脱パラドクス化の過程に対して与えられた名前に他ならない。家族療法の臨床例が教えてくれるように、「問題」の「解消」は、物語を書き換えることによって生じてくる変化なのだが、その際に「物語の書き換え」という言葉が意味しているのは、脱パラドクス化の様式を変更することなのだ。 以上の理論的考察を踏まえて、現代社会において自己を語る言説について比較社会学的に検討した。具体的には、女性誌において自己やアイデンティティを語るための言説形式(自己物語を語るための基本ツール)が、70年代から90年代にかけてどのように変化してきたのかを見た。その結果、こうした言説は一方で物語を選択する自由度を高めるように変化すると同時に、それが処理・隠蔽しなくてはならないパラドクスをより露呈させやすくするよう変化していることがわかった。
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