本研究では、ドイツの高等教育財政改革の鍵となる包括予算の概念ならびに財政自治と大学組織との関係を解明した。特に、70年代以来の管理運営組織に関わる改革の顛末および90年代における包括予算の生成と展開を扱った。 包括予算は、一部の州立大学で試行されている。これが導入されると、予算の流用が可能になる。包括予算は実施される段階で財政自治と言い換えられた。定員の概念を存続させることにより、予算に一定の枠組みを残すところに財政自治の特徴がある。つまり、包括予算よりも柔軟性が低い。 財政自治がボッフム大学とヴッパータール大学において試行的に導入されたのは1992年であった。当初、財政自治は「収入を大学に残す」、「予算を流用することができる」、「人件費を柔軟に使用することができる」を3つの柱としていた。 この実験は全体として肯定的に評価されたものの、いくつかの課題が指摘された。その結果、1996年になると新たに「積立金の形成」が第4の柱として追加された。これにより、財政自治が適用される大学は、実質的に単年度予算の原則から離脱することになった。 今後、財政自治の導入に続いて、再度、組織上の改革の必要性が高まってくると考えられる。実際に、そのような議論ある。すでに70年代以後の高等教育立法により、大学の組織は多様化している。かりに大学組織の改革なしに財政自治を採用することができないとしたら、各大学の管理運営組織の状況により、高等教育財政改革の進む方向が異なってくるのではないかと予想している。
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