本年度はまず、設定課題に沿って関連史料の閲覧・蒐集に努めた。その結果、現地エジプトにおいて写本・文書史料を閲覧後、エジプトおよび欧米の研究機関から主として写本史料をマイクロフィルムの形で招来することが出来た。その際の現地機関としてはエジプト国立図書館、アラブ連盟大学写本研究所ど、欧米の機関名としてはブリティシュ・ライブラリー、プリンストン大学図書館他が挙げられる。これらの史料分析・検討に加え、現地エジプトにおけるフィールドワークの成果も織り込んだ上で発表したのが、「エジプト・ムスリム社会の聖墓参詣と共同体意識」(『地域の世界史』第8巻「信仰の世界史」所収論文、山川出版社、1997年刊行予定)である。そこにおいては、12〜15世紀を中心として、カイロのいわゆる「死者の街」参詣の歴史的民族誌を史料から再構成し、そのうえで死者の街というメッカ以外の求心地が創出されることによって、来るべき国民国家の下地をなす共同体意識が醸成されたと推論した。さらにこの間のフィールドワークの副産物として、エジプトの少数派キリスト教徒の生活実態も報告した(「コブト・キリスト教徒」、「アラブ」所収、河出書房新社、1997年刊行予定)。 次いで、以上の研究をさらに進め、オスマン朝のエジプト支配初期(16〜17世紀)におけるエジプトの参詣慣行と参詣地であった死者の街の実態についても、写本史料研究を深化させる形で検討することができた。その結果、同時期には以前からの聖墓参詣慣行が基本的に継続して窺えるものの、今後、年代記史料・地誌などによる建築物の研究、そして、旅行記史料による参詣慣行の実態研究を援用してゆく必要が痛感された。このオスマン朝期の参詣に関しては、京都大学東洋史研究会大会(1996年11月3日)、九州史学会大会(同12月15日)において学会研究報告を行った。今後もフィールドワークの成果を踏まえ、人類学等隣接諸学の方法と成果を併用した歴史研究によって、中東イスラム世界における聖者崇敬・聖墓参詣研究をいっそう深めてゆく所存である。
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