研究概要 |
従来,第一次世界大戦後に誕生したチェコスロヴァキアの土地改革は、チェコ地域においてはドイツ系ノ、スロヴァキア地域においてはハンガリー系の貴族を中心とする大土地所有を標的とした、チェコ・ナショナリズム(或いは「チェコスロヴァキア・ナショナリズム」、当時のチェコ系の主要政治家はチェコとチェコスロヴァキアを同一視する傾向にあったので)に基づいた政策であると評価されてきた。 しかるに、土地改革関連諸法の条文を検討しても、当然ながら、そのナショナリスティックな政策意図は伺えない。特に基本法である1919年第215号法の制定過程における各政党による議論をたどると、問題の焦点はむしろ「私有財産の絶対性」と「土地収用」を整合させることにあったのがわかる。この過程の中で採用されたのがzabraniという言葉である。この言葉の意味は、単に「取ること」で、どのようにでも解釈可能で、土地の社会化に固執した社会民主党と私有財産の不可侵に固執した国民民主党を両極とする諸政党の妥協の産物といえる。さらに条文中で、国に「取られた」土地に関しても所有権は元の持ち主に残留するが、処分権がなくなると書かれており、チェコスロヴァキアの土地改革をさらにわかりにくいものとしている。 この問題に限らず、新興国特有のナショナリスティックな意図に基づくとされる経済政策に、本当にそのような意図があったかを検証することは、非常に困難である。土地改革に関してみても、実際、ドイツ人、ハンガリー人に大土地所有者が多く、土地を「取られた」ということ、彼らの土地改革への不満の表明、チェコ・ナショナリストのプロパガンタ記事などから、そのような意図が推察されるにすぎない。今後、より詳細な事例研究によりチェコスロヴァキアの土地改革の実態を探り、さらに、スロヴァキアの地域特性についても検討したい。
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