本研究では、まず新石器時代から殷代にかけての文化編年を明確にしたうえで、龍山文化期から殷代にかけての各文化要素の変遷について検討を行った。 遺物における大きな変化は二里頭文化における青銅容器の出現を挙げることができる。青銅器の出現は仰韶文化後期に遡ることが確実視されているが、二里頭文化期以前の青銅器は工具及び簡単な装飾品に限られており、青銅容器の出現は大きな変化である。また玉器をはじめ装飾品も二里頭文化期から精美なものが出現する。これに対して土器・石器には大きな変化は見られない。土器では器種では基本となる煮沸器・供膳器・貯蔵器について器種の変化はほとんどない。ただし小型の祭祀用と考えられる土器については、二里頭文化期以後青銅器模倣の器種が多くなることが異なる。石器では新石器時代から殷代にかけてほとんど変化は見られない。 遺構については住居址・貯蔵穴などに変化は見られない。大型建築址については現状では二里頭時代に出現することが確認されている。また墓葬については飛躍的に巨大化するのは殷墟期であるが、青銅器・玉器の埋葬などその原型は二里頭文化期に出現しており、やはり二里頭文化期が一つの画期となっている。 以上の検討から龍山文化期から二里頭文化期に大きな変化があることが解る。ただしその変化は土器・石器、あるいは住居址・貯蔵穴といった、生活に密着した要素にではなく、大型建築物・青銅容器の出現、華美な装飾品など日常的な生活とは異なったレベルに属する要素であらわれる。これは逆に言えば大型建築物・青銅器・装飾品などを必要とした新たな制度の出現を意味するものである。それはあるいは「国家」と呼べるものであるかもしれないが、理論的な検討を含めたその解釈は今後の課題としたい。
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