『法華経』注釈書は各地の談議所において執筆・書写された。『一乗拾玉抄』は常陸国千妙寺・月山寺・逢善寺と関連する学僧たちの手を経て類聚伝来した。千妙寺第三世亮海は度々本山比叡山に登山し、葛川に参籠、回峰行の修業を積んだ。『諸国一見聖物語』(至徳四年草案)は比叡山内の霊跡・回峰行に関する口伝や数多の説話を記録するが、これは千妙寺亮海の著作であり、その書写者尊運も葛川参籠の行者であった。中世小説『自剃弁慶』所見「千手水」は叡山の重要な霊跡であり、回峰行の口伝と関わる。弁慶も天台僧の一人であった(「『諸国一見聖物語』攷」)。 ささやき竹説話は『沙石集』『一乗拾玉抄』に記録され、観音信仰と結び付いている。国文学研究資料館は奈良絵本『ささやき竹』を所蔵する。この系統の本文には、古来、語り継がれて来た破戒僧の失敗譚に、南北朝時代、鞍馬寺で実際に起こった「ゆうけん」(僧名)に関する時圏の記憶が重ね合わされている(「鞍馬の黒牛」)。 『一乗拾玉抄』所引の道歌は中世小説にも引用された。例えば、弁才天信仰の影響が看取される『富士の人穴の草子』である。天台僧は弁才天を仏法守護神として崇め、『江島縁起』成立にも関与した。江島の説話は『一乗拾玉抄』にも載る。観音信仰と弁才天信仰とが融合した顕著な例に近江国三井寺が数えられる。同寺の笠脱観音は『法華経』注釈書に頻出する和泉式部説話に原義を求めることができる。近州岩間寺は三井寺修験と関わる。『一乗拾玉抄』所収の道歌は同寺の名称を詠み込んだ一首であったか(「『一乗拾玉抄』所引和歌攷」)。西行も『法華経』注釈書に頻出する。疎竹文庫所蔵『西行修行記』は、現段階では『とはずがたり』の記事に合致する書名を持つ唯一の伝本である(『西行修行記』について)。
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