14世紀末のイギリスで書かれたジェフリー・チョーサー作の『カンタベリ-物語』は、1700年にジョン・ドライデンによってその一部が初めて近代英語に訳された。それ以降、1736年までに8詩人によって英訳が進められ、おもに当時のロンドンで有力であった書籍業者によって繰り返し出版された。こうして、『カンタベリ-物語』の中の滑稽譚、艶笑譚がチョーサーの作品として広く読者に認識されるようになっていった。 この時期、チョーサー作品の近代英語訳に積極的にかかわっていたのが、アレグザンダー・ポウプであった。彼は18世紀前半にトンソンやリントットといった有力な書籍業者から自らの作品を出版しており、出版界に多大な影響を与えた。そのリントットから、1721年にジョン・アリ-校訂の『カンタベリ-物語』が出版されたのである。アリ-はオクスフォードのクライスト・チャーチ・コレッジのディーンであるフランシス・アテベリ-の指示で校訂版を準備したが、友人のポウプの影響があったと推測できる。詩人、書籍業者、大学が連携したために、娯楽として読むためのチョーサー作品と学問的な校訂版の登場が同時機になったといえる。 1736年までに発表された『カンタベリ-物語』の近代英語訳を3刊本に編集し、1741年に出版したのがジョージ・オ-グルである。彼は、自らも一部を訳して物語の展開に一貫した流れを持たせているが、その定本はアリ-版である。しかも、この3刊本はドライデンの英訳を刊行したトンソンから発刊されており、大手の書籍業者が『カンタベリ-物語』に注目し、読者を得ようとしたことが読み取れるのである。 18世紀前半、『カンタベリ-物語』は書籍業者と詩人の新たな関係を背景にして、チョーサーの代表作としての名声を確実にしていったのである。
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