1.イギリス社会保障に関する諸立法について、社会保障の諸制度に内在する理念ないし哲学を解明しようとする問題関心から歴史学的研究を行っている。2.その一環として、先に1834年救貧法改正法についての歴史学的考察を行ったのに引き続き、今年度は19世紀から20世紀はじめまでの社会保障立法についての考察を通してこの時期のイギリス社会保障の政策論理の解明につとめ、その結果以下の諸点を明らかにすることができた。(1)19世紀イギリスにおける救貧法に基づく救貧行政は、1834年救貧法改正法(新救貧法)の前後を通して、民衆の伝統的な権利の擁護と、効率的な農業経営という大土地所有者および借地農業家の利害の維持との均衡を図りながら行われていた。(2)新救貧法はその理論的な構成から貧民の側に一種の被救済権を確立しており、また救貧行政の運営において充分な救済を保障しようと意図したと考えられる一方で、当時の人々の観念では新救貧法は貧民救済への伝統的な権利を侵害していると考えられ、実際の救貧行政の運営においても伝統的な貧民救済方法を踏襲する形で行われる場合が少なくなかった。(3)19世紀の公的扶助にみられる貧困観は、私的な相互扶助組織および慈善組織たる友愛組合および慈善組織協会の貧困観と同様に、なお貧困を罪悪とみる観念が強く、人々が道徳的に貧民救済に値するか否かの判断が明示的ないし黙示的に、公的扶助および私的扶助の諸制度のなかで行われていた。(4)世紀転換期の児童保護立法や老齢年金制度、国民保険制度の確立は、児童や老齢者、さらには一般の労働者の困難、困窮に対して一定の国家的責任を認めるものとしてイギリス社会保障法の歴史における一大画期をなすが、その立法経過および法制度そのものに一種の道徳的価値判断ないしはよき人間像と言うべきものを内包している。これは現代イギリスの社会保障制度にも相当に共通する観念ではないかと推測できる。
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