本研究は、英国における組合単位の賃金交渉のデータを用いて、所得政策が交渉の頻度と賃金の上昇率という2つの側面に与えた影響を推定し、その蓄積効果をダイナミック・シミュレーションを用いて検証したものである。 まず、ある時点で賃金交渉の起こる確率を表わすハザード率と、交渉が起こった事象を条件とした賃金関数との2つを連立モデルとして推定した。次に、初期条件と外生変数に実際のデータを用いて、1961年から1971年までのハザード率を毎月予測し、その分布に基づいて発生された交渉のタイミングを所与とした賃金率をシミュレートした。このような操作を61年に賃金交渉のあった組合のすべてについて30回ずつ行い、平均ハザード率と平均賃金とを求めたところ、所得政策全般には賃金の上昇率を低下させる効果があったこと、また、61年後半と66年後半に施行された賃金凍結政策、及び68年から69年末にかけて施行された賃金上昇率抑制政策には、賃金交渉頻度に対する顕著な抑制効果があったこと等が検証された。さらに、68年の政策効果に若干の下方バイアスがあるものの、このモデルは、政策解除直後におこる賃金のリバウンドを、主に交渉の頻度を増発させるかたちで、データとほぼ整合的にシミュレートすることに成功した。これに対して、従来のワイブル分布を用いた尤度推定置に基づくシミュレーションでは、所得政策のハザードに対する効果はほとんど見られなかった。つまり、賃金交渉期間を期間開始時点における変数で説明するという静学的モデルでは、連続的な従属変数の変化、特に政策が施行されてからの期間や政策の変更、前の賃金交渉時からの期間及び実質賃金の下落などの効果が正確には推定できないことなどが明らかにされた。
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