殺人事件や交通轢逃げ事件の全貌を解明するには、犯行や事故発生の時刻を明らかにすることが極めて重要である。しかし、このような時刻の特定は、被疑者の自白や目撃証言という人間の記憶に依存しているのが実状である。従って、外傷死体の受傷後の生存時間を死体から推定し、延いては受傷時刻を特定することができれば法医学的に意義深い。ところで、筋肉内蛋白のミオグロビン(Mb)は、筋肉が損傷を受けると血中へ洩出し、更に尿中へ排泄される。そこで私は、外傷死体の尿中Mb濃度を独自に開発した酵素免疫測定法によって定量し、その値から当該死体の受傷後の生存時間を推定し得るか否かに付いて検討を加えた。まず対照用として収集した生体随時尿531例の尿中Mb濃度は大部分が20ng/ml以下であったが、100ng/ml以上の例も散見された。一方損傷による死亡例については、剖検ないし検案死体から54例の尿中Mb濃度を測定したところ、同濃度が500ng/ml以上のもの11例、1000ng/ml以上のもの5例が見いだされた。尿中Mb濃度と受傷から死亡までの経過時間との関係をみると、一般に強い損傷を受けたのち一定時間経過して死亡したものでは尿中Mb濃度が高い(例:16歳男性。轢き逃げ事故。第1車に跳ねられたうえ第2車に轢過され、約8時間後に死亡。尿中Mb濃度4610ng/ml)傾向にあった。しかしながら、受傷後の一定時間生存していても頭部外傷による死亡の場合(例:74歳男性。頭部だけをステッキで滅多打ちにされ、脳挫傷で約12時間後に死亡。尿中Mb濃度6ng/ml)や、損傷の激しい死体でも即死と判断された場合(例:17歳女性。電車に跳ねられた。身体の諸処に強い打撲損傷、四肢骨骨折。尿中Mb濃度2ng/ml)には尿中Mb濃度が低い傾向にあった。以上のように、本研究により、外傷死体の尿中Mb濃度測定によって、当該死体の受傷後生存時間を推定し得る可能性が示唆された。
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