本研究では福岡県の門司港を対象として明治後半から昭和初期までの衛生問題と都市構造の変容との関連についていくつかの局面を明らかにした。まず最初にコレラの流行時おける諸対策を検討したが、当初は避病院への隔離、患者宅周辺の交通遮断、清掃や衛生活動の実施といったいわば応急的な対策にとどまっていたのに対して、次第に「予防」対策に重点が置かれてくることが明らかとなった。例えば、「地域集団」の再編成でもあった「衛生組合」の設立やそれに基づく相互監視的な体制の確立と強化、衛生展覧会による衛生観念の普及、清潔法による定期的な清掃の実施などが挙げられる。こうした政策は人々自らが衛生問題を理解しそれを実践する「主体」として振る舞うようになることを期待して行われたものであり、その結果、上下水道や居住環境の整備もあって、病いが都市空間のなかで猛威をふるうことは次第になくなった。 次にこうした衛生政策の変化が都市空間とそこに住む社会集団に対していかなる影響を与えたのかを検討した。衛生を価値基準として、都市空間の管理強化や徹底的な改善を求める言説は医師や警察、行政に携わる人々から強く出されたが、それにあまり関心を示さない石炭仲仕など「都市下層」に対する差別的な視線が、伝染病の恐怖とも重なって市民のなかに広く形成されることになったことを明らかにした。 以上のことから、「衛生」をめぐる諸問題が近代的な都市空間の形成に物理的にも象徴的にも大きな影響を与えたことが、大都市のみならず地方都市でも議論可能なことが明らかとなった。
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