本研究の目的は、マイノリティーの視点から、中世イスラム社会を捉え直すことにある。14世紀半ばエジプトでは、コプトに対する大規模な弾圧により、コプト人口は激減した。また、コプト教会の文芸活動が途絶えた。その中で黙示録は14世紀以降も著されている。申請者は、この黙示録に、コプトが改宗を選択しなかった者の覚悟が現れているのではないかと考えた。2008年5月18日に早稲田大学にて開催された、2008年度歴史学研究会大会の合同部会では、本研究の予備的発表を行った。タイトルは「黙示録から見たイスラム支配下のコプト」で、黙示録に見られる記述から、エジプト社会のアラブ化がコプト教会に与えた影響について考えた。 夏休み中は、黙示録資料、の情報整理をした。また、International Coptic Congressの第9回大会(エジプト・カイロ、9月14-20日)に参加し、海外のコプト史研究の専門家らと本研究に関する情報収集・情報交換を行った。10月には歴史学研究会大会の報告文が『歴史学研究増刊号』第846号に掲載された。1月末から2月にかけてロンドン・オックスフォードにて写本調査を行った。新しい黙示録を発見するには至らなかったが、マムルーク朝期の教会史や聖人伝の写本を見ることにより、黙示録を補完するような情報を得ることができた。 2009年2月21日にはイスラーム地域研究の研究会にて、「コプト黙示録におけるイスラーム政権像の変遷」と題し、イスラム征服期からマムルーク朝に至るまでの様々な時代に著された黙示録に、その時代の為政者がどのように描写されているかということを発表した。これにより、マムルーク朝期の黙示録記述の意図をより明らかにすることができた。この報告に関しては、2009年度中に研究ノートとしてまとめる予定である。
|