研究課題/領域番号 |
09045014
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研究種目 |
基盤研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
東洋史
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研究機関 | 関西大学 |
研究代表者 |
藤善 真澄 関西大学, 文学部, 教授 (60067585)
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研究分担者 |
藪田 貫 (藪田 貴) 関西大学, 文学部, 教授 (80027987)
高橋 隆博 関西大学, 文学部, 教授 (70188019)
松浦 章 関西大学, 文学部, 教授 (70121895)
内田 慶市 関西大学, 文学部, 教授 (60115293)
宮下 三郎 関西大学, 社会学部, 教授 (70157642)
王 宝平 中国浙江大学日本文化研究所, 副所長
王 勇 中国浙江大学日本文化研究所, 所長
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研究期間 (年度) |
1997 – 1999
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研究課題ステータス |
完了 (1999年度)
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配分額 *注記 |
4,000千円 (直接経費: 4,000千円)
1999年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
1998年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
1997年度: 1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
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キーワード | 華東 / 華南 / 日本 / 文化交流 / 仏教文化 / 中国 / 江戸時代 / 文学 / 福建 / 福州 / 泉州 / 廈門 / 福清 / 晋江 / 日中関係史 |
研究概要 |
初年度には中国の山東半島から琅邪台、連雲港をへて淮南に至る沿海地域、さらに淮南より南下して揚州・鎮江・南京などの調査を行った。沿海地域は遣唐使の時代から近代に及ぶ日中交流の関口であり、淮南-鎮江ルートはまた遣唐使達が往来した地域である。この調査についてはメンバーの一人、松浦章氏が「歴史研究班の海外調査」(『東西学術研究所々報』72)として報告されている。また成果の一部が藤善の「琅邪台-徐福伝説」(『阡陵』37号、1998年9月)、「文書・記録の日中文化交流」(『東西学術研究所紀要』32号、1999年3月)松浦の「清乾隆五十七年貢期の琉球進貢と鄭文英の客死」(『南島史学』51号、1998年5月)、高橋隆博「筥・櫛筥・手筥-手筥の成立をめぐって」(『手筥』駸々堂、1999年3月)などに発表ずみである。 二年度は浙江大学のメンバー両名が来日し日中交流史関係の資料・典籍の調査を積極的に行い多くの結果を得た。王勇氏の「遣唐使時代のブックロード」(『アジア遊学』-東アジアの遣唐使、勉誠社、1999年3月)、王宝平「黄遵憲『日本国志』源流考-『芸苑日渉』との関係をめぐって-」(『江戸・明治期の日中文化交流』浙江大学、2000年10月)などは、その一部である。 最終年度は中国の厦門・泉州・福清・福州などの調査に従事した。泉州では全長2,5kmにおよぶ安平橋と、海外交通史博物館を見学し、福清県では上張村にある民家を調査した。安平橋は宋の紹興八年(1138)に建造されたもので、花崗岩を長く切り橋梁とした独特の建築であり、上張村の民家は葉一族の100人ほどが居住してきたものという。清朝の乾隆年間に建てられ、200年以上の歴史を持つ。研究協力者で建築史の永井氏が成果を発表する予定である。また海外交通史博物館では泉州の民俗史料を調査したが、その生活用品と風俗が琉球および九州南部のものと近似するのには驚かされ、今後は物の交流に注目すべきことを再認識させられたのは大きな成果である。
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